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CTIC通信第292号:神様からの招待状(2)

2025年11月11日

スタッフ 奥山マリアルイサ

私が彼氏(現夫)からもらった小さなチラシをきっかけに、多くのフィリピン人信徒が潮見教会の英語ミサに通うようになっていきました。

職場近くのアパートから教会に向かってぞろぞろとフィリピン人が歩いていると、日本人の配偶者になっている人、エンターテイナーとして短期間日本に滞在している人など、道すがらさまざまなフィリピン人に出会い、彼らも仲間に加わりました。その輪は口コミで広がり、フィリピン人に限らず、英語を話す他国の人たちもミサに参加するようになっていきました。ミサ後の交流の時間は、次第にそれぞれが抱えている問題を分かち合ったり、神父様やJOC(カトリック青年労働者連盟)の人たちに相談したりする場にもなって行きました。

日本人のO神父様は英語が話せなかったので、何かあるとすぐに私に通訳を求めます。私は日本語で十分にコミュニケーションがとれる状態ではなかったのですが、神父様はおかまいなしに私に通訳をさせるので、私も一生懸命日本語を勉強しなければならないと思うようになりました。特に、労働問題に関する言葉や日本の制度を学ぶ必要があると意識するようになったのはこの頃です。

年月が過ぎ、一緒に工場で働いていた同僚たち、レイミッショナリー、そして外国人の神父様たちがそれぞれ祖国に帰国し、教会の様子も変わっていきました。

ある日、O神父様から驚きの発表がありました。「来月から英語のミサを止め、その代わりに、聖歌や聖書朗読に外国語を交えたミサ(インターナショナルミサ)を行うようにします」。私はそのお知らせにショックを受けました。その頃には、ミサに参加していた初期メンバーの多くは帰国し、残っている人たちは日本人等と結婚するなどしてある程度日本の生活に馴染んでいました。新しく来る人たちについては、古い人たちがお世話をするようになっていました。私も日本人の配偶者となり、二人の子どもを持つ母親になっていました。

日本語のミサはよくわかりませんでした。しかし、これからも日本で生き、子どもを信仰面で導くために、み言葉を日本語で聞くことは大切なことだと思ったので、一度のミサで一つの単語でも神様の言葉を日本語で持ち帰ろうと決心し、参加するようにはしていました。それでも時には英語やタガログ語のミサが懐かしくなり、他の教会の英語ミサに参加することもありました。小さな娘を連れ、都内の大きな教会の英語ミサに参加した時のことです。ミサの後、娘が「マミー、この教会イヤだ。怖い。もう来たくない」と言ったのです。理由を聞くと、「大きな教会に沢山の大きな人がいて、周りが見えないし、ミサの後、みんな、お話もしないでそのまま帰るから怖い」と言うのです。その言葉を聞いた時、私は子どものためにも「自分の小教区の日本語のミサを自分と家族の中心にする」ことを決心し、積極的に参加するようになりました。振り返ると、自分の小教区の方々との交流を通して、季節のこと、子育てのこと、日本の教育のこと、料理のこと、健康のこと、社会制度のことなど、多くのことを学ぶ道が開けていったと思います。

私がカトリック東京国際センターのスタッフとして働くようになり17年が過ぎようとしています。

1989年に受け取った英語で書かれた小さなチラシは、今の人生への「神様からの招待状」だったと感じています。