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CTIC通信第291号:神様からの招待状(1)

2025年10月02日

スタッフ 奥山マリアルイサ

1989年の夏、彼氏(現夫)から小さなチラシをもらいました。そこには「毎月第三日曜日にカトリック潮見教会で英語ミサを始めることになりました」と英語で書かれていました。彼はカトリック信者ではなかったので、カトリック教会のことはよくわからなかったのですが、江東区の外国人支援ネットワークでそのチラシを受け取ったそうです。潮見教会がどこにあるのかもわからなかった私は、勇気を出してチラシに書いてある番号に電話をかけてみました。電話に出たのはフランス人のL神父様でした。神父様は英語が得意ではなく、私も日本語が十分に話せなかったのでコミュニケーションは大変でしたが、神父様が日曜日に私のアパートの最寄り駅まで迎えに来てくださることになりました。「神父様が駅まで迎えに来てくれる?」フィリピンでは考えられないことなので、自分が勘違いをしたのではないかと心配になりました。第三日曜日、当時は携帯電話がなかったので会えないことを心配し、私は早い時間に約束の駅に向かいました。「自分は背が高く、長い鼻の外国人だからすぐに分かります」と言っていたとおり、私はすぐに神父様を見つけることができました。

潮見教会ではL神父様のほか、二人のフィリピン人レイミッショナリー(信徒宣教者)、アイルランド出身のH神父様、日本人のO神父様や日本人信徒の方々が迎えてくれました。潮見教会で行われた初めての英語ミサに参加した外国人信徒は私一人でした。ミサの中で、レイミッショナリーとともに栄光の賛歌(パプリ・サ・ディヨス)や主の祈り(アマナミ)を、日本に来て初めてタガログ語で歌いました。私一人のためのミサのようで、「こんな贅沢がゆるされるのか」と感謝と喜びでいっぱいでした。

ミサの後には、教会で準備してくれたカレーをご馳走になりました。食事をしながら、私の来日の経緯や生活についてさまざまな質問が寄せられました。神父様たちが関わっているJOC(カトリック青年労働者連盟)の話も聞き、JOCの具体的な活動を知ることができました。そして、潮見教会では、「外国人労働者を歓迎するよ」と言ってくれました。当時私は工場で働いており、そこにはたくさんのフィリピン人の同僚がいたので、私はすぐにその日の経験を話し、皆をミサに誘いました。翌月から同じ職場の多くのフィリピン人がミサに参加するようになりました。信者や神父様たちが大歓迎してくれ、楽しい時間を過ごしました。

私たちにとっては月に一回のミサが、待ち遠しい楽しみな時間となり、日々の生活の励みとなっていきました。仲間の中には、フィリピンで侍者、聖歌隊、ミサのギタリストなどの経験のあるさまざまなタレントを持った人がいたので、ミサの中で歌う歌や、季節ごとの典礼の準備などをレイミッショナリーと相談しながら、次の月のミサを心待ちにするようになりました。教会で過ごすのは一カ月のうちのわずかな時間でしたが、私たちを待っていてくれる居場所、そして日本で生活するための大切なことを学ぶ窓口になっていました。

今、労働者として来日する多くの若者を目にしますが、私が経験したように、教会で温かく迎えられ、教会が彼らの居場所となり、日本での生活の安全な入口となることを祈らずにはいられません。 (次号に続く)