活動報告 Activity Report
CTIC通信第286号:金さんの帰国(2)
2025年04月01日
50年ほど前にパスポートと外国人登録証を失くし、「日本人のように」生きて来た金さん(仮名)。日本に来る少し前に親が本籍地を移転していたため、本籍地の住所もはっきりしないうえ、親族との連絡も途絶えてしまっている。そんな金さんが、「韓国人のオーバーステイの金」として入管に出頭し、韓国に帰国するためには、それを証明する書類が必要でした。まずは領事館に相談するしかないのですが、多忙を極める領事館の窓口で韓国人であるかどうかわからない金さんの事情を聞いてもらうためには、日本で生まれてから現在に至るすべてのことをできるだけ具体的に記し、彼の話に信憑性を持たせる必要がありました。「大阪の〇〇町の××会社の3軒隣に住んでいた」「大人になって日本に戻って来たのは羽田空港。その日の晩に△△駅に住む父親の知人と焼肉を食べ、翌日新幹線で大阪に向かった」など、金さんは記憶力がとてもよく、その情報量は膨大なものでした。それらの記憶を日本語でまとめ、西千葉教会の金泌中(キム・ピルジュン)神父様に韓国語に訳していただき、東京韓人教会の方に手伝ってもらって韓国大使館に相談をし、アドバイスをもらいました。同時に金さんの戸籍があると思われる韓国の役所や地方公共団体に片っぱしから国際電話をかけ、手掛かりを探しました。韓国と連携のある労働組合や、日韓交流を行っている団体、修道会、大学の先生方まで、当たれるところはすべて当たってみるしかありませんでした。
高齢のお二人ですので、国際電話をかけるために事務所に来ていただいたり、弁護士事務所に相談に行ったりするのも毎日というわけにはいきません。体調を見ながら、無理のないスケジュールで右往左往しているうちにどんどんと時間が過ぎて行きました。その間にも、血圧が上がったり、血尿が出たりと受診が必要になったお二人が無料低額診療で受診できる病院につながるまでの間、カトリック信者のドクターが手を差し伸べてくれました。
3週間の約束で受け入れていただいたベタニア修道女会での生活が6カ月を過ぎ、これ以上無理を言えなくなった時には、麹町教会の「あしたのいえプロジェクト」が「シェルターに空きが出ました」との連絡をくださり、何とか滞在場所を確保することができました。すべてが綱渡りの毎日でしたが、多くの方が関われば関わるほど、絶望の中で一度は死を覚悟したお二人は「どうして皆さんがこうもよくしてくれるのですか?」と、その出会いを喜んでいました。
9月末のある日、金さんが思い出した韓国のとある住所に関係する、地域の相談窓口の方との電話での会話の中で、金さんは遂に本籍地を突き止めることができました。偶然の出来事でしたが、帰国の可能性が見えた最初の瞬間でした。
大喜びしたものの、次はその本籍地にある書類そのものを入手しなければなりません。本人の身分証がないので郵送で申請することができず、また、その方法を探らなければなりませんでした。再度試行錯誤を繰り返した末、韓国カトリック議政府教区の外国人支援センターの特別な権限を持ったスタッフの協力により、それが金さんの手元に届くまで、更に1カ月の時間が必要でした。
金さんとCTICが出会って7カ月が経過した11月初旬に「韓国人の金さんであることを証明する書類」を手に、金さんと内縁の妻の朴さん(仮名)は晴れて(?)入管に出頭することになりました。(続く)
お二人を最初に受け入れた病院からCTIC運営委員長の菊地枢機卿様に感謝状が贈られた