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CTIC通信第284号:ベトナム人信者によるミサ

2025年01月14日

昨年に引き続き、今年も「ベトナム人信徒が教区長と共に捧げるミサ」が11月24日にカテドラルで、菊地功枢機卿の司式のもと行われました。今年はアンドレア・レンボ補佐司教も参加され、ベトナム人司牧にかかわる司祭たちも共同司式しました。このミサは近年急激に増加しているベトナム人信者たちに、東京のカテドラルで東京教区の大司教様と共にミサを捧げることを通して、自分たちも教区を構成する一員であると感じてもらうとともに、教区の側でもこの信者たちへの司牧の責任を自覚し、そのための主の導きと助けを祈る機会として始められました。

今年は千人を超えるベトナム人信者が集いました。ミサの基本の部分と説教(通訳あり)は日本語で、聖書朗読、聖歌、共同祈願などはベトナム語で行われました。ミサはベトナムの殉教者である聖アンデレ・ジュン・ラク司祭と同志殉教者を記念して捧げられ、福音では「私について来たい者は、自分を捨て、日々自分の十字架を背負って私に従いなさい」(ルカ・9・23)とのイエスの言葉が朗読されました。説教で、菊地枢機卿は、十字架を背負うとは、苦しみなさいということではなく、キリストの十字架がそうであるように、神の愛といつくしみを具体的な行動で証しするようにということであり、自分自身よりも隣人の心へと思いを向けることであり、これこそが今、教会が取り組んでいるシノドス、共に道を歩くことの意味であり、また間もなく訪れる聖年のテーマである希望も、この共にいることから生まれると説かれました。

民族衣装での奉納

ミサの後には、両司教に青年たちがグループごとに準備した質問をする時間が設けられ、あるグループからは、「ベトナムではミサに参加しないことは大罪だと教えられたが、日本では仕事や勉強でミサに出られず罪悪感がある。生活とミサとどちらを優先すべきか悩んでいる」と、思いが語られました。これに対して菊地枢機卿が、「皆さんがベトナムで習ってきた教えは正しいことです。一方で、日本の生活ではベトナムと同じようにすることは困難であることは承知しているので、それぞれ心配しすぎずに信仰生活を保つように」と励まされました。また、日本の青年とも交流したいという声もありました。これにはアンドレア司教が、皆さんがまず小教区に出かけて、個人的な出会いをしてくださいと鼓舞されました。

千人以上の若者が集まったミサ。これはどこか遠い所の出来事ではなく、東京のカテドラルで起こったことです。来年もこの集まりは計画されるでしょうから、ベトナム人以外の方々もぜひご参加になって、その熱気を体験してみてはいかがでしょうか。

菊地枢機卿は説教の最後にこう呼びかけられました。「一緒に支え合い助け合いながら道を歩む教会になりましょう。そして希望を生み出し、希望を告げる教会になりましょう。」こうした機会がその呼びかけに応えていくための助となることを希望しています。

高木健次 CTIC司祭