活動報告 Activity Report
CTIC通信第275号:ある出来事を通して
2024年03月05日
病院の「医療福祉相談室」「地域医療連携室」などと呼ばれる部署に、担当医師や看護師と患者の橋渡しをしたり、入退院のことや退院後の社会復帰、医療費や当面の生活費などの経済的な問題について相談に乗ったりする「医療ソーシャルワーカー」と呼ばれる方がいます。CTICは設立の時から、医療関係の相談数が常に統計の上位を占めているため、医療ソーシャルワーカーと連携することが少なくありません。彼らが受ける相談は、患者数に比例して圧倒的に日本人からのものが多いのですが、最近では入管法に精通し、「病院内外国人支援特別相談員」と呼びたくなるような外国人支援についての専門知識を持つ医療ソーシャルワーカーが増えてきました。
そのような医療ソーシャルワーカーの一人であるAさんと解決の目途が立ちにくい困難なケースについて相談していた時のことです。「患者さんの持っている条件を正確に把握し、あらゆる分野のあらゆる制度についての情報を集め、時間と競争しながら判断する医療ソーシャルワーカーの仕事はストレスが多いですね」と言った私に対して、Aさんはこのような言葉を返しました。「この仕事で大変なのはそんなことではないですよ。期待に応えられない時の当事者や支援者たちの厳しい反応です」。求められたことが制度的にどうしても受け入れられないためにお断りすると怒る人が多く、時には「あなた方は人権をどう思っているのか!」と怒鳴られたり、「外国人も人間です」と泣きながら責められたりすることもあるそうで、「当事者や支援者にとって、困っている外国人に尊厳や人権はあっても、私たちにはないみたいです」と彼は笑って付け加えました。
切羽詰まった方の支援に当たる時、役所の窓口で、入管で、そして病院の相談室で、思うような結果が得られないと、露骨に嫌な顔をしたり、不満な口調になったり、「わかりました」と言葉少なに立ち去ったり、失礼な振る舞いをしている自分の姿が思い出されます。相談者の状況が困難であればある程、何とかしなければという思いが強くなれば強くなる程、事が思い通りに進まない時にそのような反応を示しがちです。「誰ひとり排除されない世界」を求め、排除されていると思われる方の尊厳を守りたい一心で動いているつもりが、目の前で対峙している人の尊厳を傷つけており、「誰ひとり排除されない世界」を壊しているのは自分自身だと自覚させられた出来事でした。
『人間は信念を失ったときに怒りを失うものだ。同時に信念を売り物にし、それを押しつけるためにやたらに怒ってみせる人間もいる。どちらも危険である。怒りの純粋性とは一体何か。私が現代に失われているというのは、この怒りの純粋性である。(亀井勝一郎)』誰も住まなくなった実家の片付けをしていて見つけた学生時代の読書メモに書かれていた一文です。どんな思いでこの言葉を書き留めたのか思い出せませんが、この四旬節、もう一度この言葉を味わい深めてみたいと思っています。
相談員 大迫こずえ
東京都内の病院にて(本文と写真は関係ありません)