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CTIC通信第271号:森司教様、西川神父様

2023年10月04日

先月はCTICに非常に関わりのあった方々が相次いで帰天されました。1991年の設立以来、2003年まで運営委員長を務められた東京教区の元補佐司教の森一弘司教様と、最初の現場担当者をされた東京教区司祭の西川哲彌神父様です。CTICはかつて移住者の方たちの相談を受けやすいようにと、亀戸の雑居ビルの中に事務所を構えていた時期がありますが、その亀戸相談センターの設立の精神を森司教様はCTICのニュースレターで次のように語っておられました。「亀戸相談センターは、具体的に滞日・在日外国人の方々の『かなしみのかたまり(大江健三郎さんがノーベル文学賞受賞式で語ったことば)』に耳を傾け、それに触れ、少しでもそれを和らげることができれば、という思いから発足しています」(1995年1月)ここで森司教様が語られたことは、CTICそのものの発足の精神であると言えるでしょう。

この精神を実現すべく、初代の現場担当者としてまさに手探りの状態で奮闘されたのが西川神父様でした。海外から来たたくさんの人たちが働き、生活し始めるという新しい事態に、日本社会全体で見ても外国人支援は手探りだったと言えるでしょう。そういう状況で海外からのカトリック信者の人が教会に持ち込んでくる生活上の相談に、西川神父様は持ち前の行動力でなんとか応えようとされたのだと思います。しかし西川神父様がこのCTIC担当時代のことを話すのを聞いたことがある方はあまりいないのではないでしょうか。神父様が自分の手と足でなんとかしようとされていた時の苦労を、センターとして形が整った後になって、CTICがうまくいっていなかった頃などと簡単に片づけられても、じっと沈黙を守るつもりでおられたのだと感じています。ただ、私がCTIC担当になってから、神父様のご経験をあまりしつこく尋ねるので、建設現場で怪我をしたが病院代を雇い主は出してくれないという相談を受けて、神父様が自分で親方に頼みに行ったこと、カトリック教会から来たと言っても相手には通じないので、インターナショナル・センターという名前を使うことにしたこと、結局お金は足りないので、神父様自身が出したことなど、ぽつりぽつりと話してくれたことがありました。

森司教様が運営委員長を退かれる時にCTICスタッフに向けた言葉がニュースレターに残っています。「『まずあなた自身が燃えなさい。そうすれば周りも燃えていく』アビラの聖テレサの言葉。そういう彼女も、苦しみ叫ぶ人々の叫びに応えようとしたキリストの真っ赤に燃える炎にふれて焚きつけられた女性です。愛の炎の連鎖が、これからのCTICを更に支え育てて行ってくれることを願います」(2003年4月)。

森司教様も西川神父様もそれぞれの仕方で自分自身が燃えた方だったなあと思います。お二人のことを思いながら、燃えてくれる誰かを捜してばかりいる自分の心の姿勢を反省します。

森司教様、西川神父様どうか私たちのためにお祈りください。

 

CTIC所長 高木健次